麻生さんちへのプレカリティ・ツアーへの弾圧、あるいは公安条例による街頭支配に対する抗議声明

麻生は少し立ち止まって彼らの話に耳を傾けるべきである。

もう何度目になるかわからないが、京都の地から、我々の仲間の行ったデモ・直接行動に対する無法警察の予防拘禁措置への抗議と、被逮捕者に対する連帯メッセージを送る。

ようやく、国政の場でも「フリーター」や、「ネットカフェ難民」などの言葉が取り沙汰されるようなった。いうまでもないが、今回「シブヤの麻生宅」という 60億円のモニュメントを観光し、目に焼き付けるという趣旨の「プレカリティ・ツアー」の呼び掛け人、参加者は、その当事者及び予備軍。さらには優しい擁護者である。

2008年秋、新自由主義の断末魔が、遅れてきた世紀末に響いている。資本主義は新たな段階に入ろうとしているようだ。

職業政治家の家系に生まれたぼんぼんには死ぬまでわからないかもしれないが、麻生よ、当日集まった群衆は君たちの一族と君たちの仲間が生み出した怪物達だ。
九州の炭坑経営で、強制労働による人々の血と屍の上に築かれた麻生グループの上に座するぼんぼんには、僕たちに対峙する責任がある。死んでいった人々はもう、話す口を持たない。少なくともあの場に集まった人々の訴えに耳を貸すのは、電気街に行って理解者のフリをするよりも有益であると僕達は考える。麻生にほんの少しの勇気があるなら。

僕達は君たちが持つような武器に勝る武力はもっていないし、たとえ持っていても皆が即行使するとは考えられない。この事については、僕達は前世紀から議論してきたからね。

麻生よ、お前には僕たちの話を聞く義務がある。プレカリティ・ツアーの参加者たちは、官僚よりもリアルに「フリーター」や非正規雇用について、自分達のことを話すだろう。現実には、渋谷のどまんなかでの無茶苦茶な逮捕で応えたわけだが。残念だ。
もう解散による政治的空白があってもなくても一緒さ。だから立ち止まれよ、僕達の話を聞けよ。


恐慌を前に君の内閣は何も出来ずに終わるだろう。
お前には初めから何一つ期待しちゃいないが、アメリカからも、市場からも、同じ党内からも期待されない気分はどうだい?


公安警察の皆さん。
君たちの給料はいくらかね?
職場に非正規雇用はいるかね?
労働組合は?
仕事にやりがいは?

すでによくご存じのように反戦と抵抗のフェスタは内乱や麻生宅への襲撃は予定してない。小規模な暴動の計画ですら不可能だろう。君たちの圧勝だ。

逮捕者三名の事実が君たちの職歴や査定の向上、人事や出世、来年度の予算増につながり、子供達のクリスマスのプレゼントに化けるなら心から祝福を。愛する家族と食事に行くのもいいかもしれないね。

僕達は君たちを決して許さないだろう。


小林多喜二がブームになっているそうだ。現代の若い労働者が、多喜二の描く戦前の下層階級の必死の抵抗に共感を寄せている。労働法は変わった。いや、時の権力や資本家の思惑と、反対する労働者との攻防によって変化しつづけている…。だが公安のみなさん。君たちのやり方だけは同じだね。治安維持法なんて必要ないんだね。

誰が多喜二を殺したんだ?下手人は?
責任者は?

すべての反戦運動・労働運動への君たちの恥ずべき攻撃については、いつか責任を取ってもらう。


今回の東京の仲間の行動にたいして、無届けデモかツアーかを巡って運動内でも議論が起こっている。僕達もまた議論している。しかし弾圧が僕達の政治性に向け加えられた攻撃であることは疑う余地がない。
弾圧理由の公務執行妨害がでたらめだった事や、逮捕が所轄警察の頭ごしに指揮した公安の命令だった事はビデオによってあきらかになっている。
ようするに僕の友達が左翼だったから政治警察がパクっていったんだろ?
大勢で金持ちのところに行くのがダメなら、皇居に行く観光客はみんな逮捕したほうがよさそうだね。
政治的なメッセージがダメ?麻生の「暴言」が「合法」で僕たちの言葉が「違法」なのはなぜ?
デモに届け出がいるって事を疑え。「政治性」が警察に判断されることを疑問に感じな。
この国の民主主義はどの程度だろう?

逮捕された仲間へ

京都でもあなた達のための運動が広がっている。君たちのためのビラ撒き、君たちのための情宣。だ。

反戦運動やそのための抵抗は正しい。
京都から絶対の支持を。

2008年10月31日
反戦生活。