経団連ビジョン 編集続行中

先日の定例会でも報告しましたが、日本経団連から「希望の国、日本」という新たな「綱領」(御手洗ビジョン)が今年の年頭1月1日に出されました。今のところ、pdfファイルにパスワードがついていて、プリントアウトすることが出来ません、、、、後日「出版」(!)とのこと。
さしあたり、眼を通しておく必要があると思うので、アドレスを貼付けておきます。
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2007/vision.html
1995年日経連(当時)の「新時代の「日本的経営」」にて提起された、労働の三分化(長期蓄積能力活用型、高度専門能力活用型、雇用柔軟型の三グループへと労働者を分断して行く構想)の成果が、現在であるから、向こう側の目指すものを見て取っておくことは無益ではないはず。


第3章 「希望の国」の実現に向けた優先課題
「日本のリーダーシップの下、開かれた「東アジア共同体」が視野に入っている」

政府の役割の最小限化→「政府の役割の再定義の最大のポイントは社会保障制度改革である」p.64
また、政府による・・・を達成するべきとしたうえで「10年後の姿」としては「自立・自助を基本とし、国民一人ひとりが、老後の設計、傷病などのリスクに対する備えを行っている。家族・親族、地域コミュニティ、企業などによる互助がこれを補完している。社会保障制度は、自助や互助ではカバーできないリスクへの対応をより重視したものとなり、国民の安心の拠りどころとなっている。」p.66
税制改革
「今後、社会保険料負担が増大していくことを考えるならば、これ以上、直接税を増税する余地はない。新しい税源確保措置は、経済動向に左右されにくく、幅広い世代が公平に負担するとともに、経済に及ぼす影響が中立的であり、国境調整により競争力への影響を遮断できる消費税を中心に考えざるをえない。」p.68
累進課税構造の緩和
法人課税の引き下げ

労働市場改革
「労使の自治」p.78

5.教育を再生し、社会の絆を固くする p.84ー
本ビジョンにおいて参照されている「高校生の学習意識と日常生活」2005年3月発表より
自分の国に誇りをあまりもっていない 「強くもっている」日本:15.4%、米国:29.4%、中国:29.3% 国歌を聞いて「誇らしいと感じる」日本:11.1%、米国:54.8%、中国:50.0% 国旗を見て「誇らしいと感じる」日本:13.3%、米国:53.9%、中国:48.4%
http://www1.odn.ne.jp/youth-study/reserch/index.html
<成瀬メモ:国歌を聞いての感想を比較しているが、国歌の内容は捨象しているところがすごい。>
<参考>2 「君が代」の歌詞の意味についての政府の解釈について
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906k.htm
(答)
日本国憲法下においては,国歌君が代の「君」は,日本国及び日本国民統合の象徴であり,その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指しており,君が代とは,日本国民の総意に基づき,天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであり,君が代の歌詞も,そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解することが適当であると考え,かつ,君が代についてこのような理解は,今日,広く各世代の理解を得られるものと考えております。
(平成11年6月29日 衆議院本会議 内閣総理大臣
君が代の「君」に関することにつきましては,君が代の歌詞そのものが,平安時代古今和歌集和漢朗詠集に起源をもち,その後,明治時代に至るまでの祝い歌として長い間民衆の幅広い支持を受けたもので,この場合の君が代の「君」とは,相手を指すことが一般的で,必ずしも天皇を指していると限らなかったと考えられます。
ところで,古歌君が代が明治時代に国歌として歌われるようになってからは,大日本帝国憲法の精神を踏まえ,君が代の「君」は,日本を統治する天皇の意味で用いられました。
終戦後,日本国憲法が制定され,天皇の地位も戦前とは変わったことから,日本国憲法下においては,国歌君が代の「君」は,日本国及び日本国民統合の象徴であり,その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指しており,君が代は,日本国民の総意に基づき,天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであり,君が代の歌詞も,そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解することが適当であると考え,かつ,君が代についてこのような理解は,今日広く各世代の理解を得られるものと考えておるところでございます。
(平成11年7月21日 衆議院内閣委員会 内閣総理大臣

第四章 今後5年間に重点的に講じるべき方策
16.教育再生、公徳心の涵養
p.120
「新しい教育基本法の理念に基づき、日本の伝統や文化、歴史に関する教育を充実し、国を愛する心や国旗・国歌を大切に思う気持を育む。教育現場のみならず、官公庁や企業、スポーツイベントなど、社会のさまざまな場面で日常的に国旗を掲げ、国歌を斉唱し、これを尊重する心を確立する。」


「繁栄が上り坂にるような社会においては、もはやただ富者中の富者たちしか金利で生活することはできない。爾余のすべての人々は彼らの資本で何か事業をやるか、資本を商業に投入するかしなければならない。そうなると、そのために諸資本間の競争はいっそう大きくなり、諸資本の集中はいっそう大きくなり、大きな資本家たちは小さな資本家たちをつぶし、こうして以前の資本家たちの一部は労働者の階級へ堕ち、この階級のほうは、この流入によってまたしても労賃の切り下げに遭って、なおいっそう大きな資本家たちに隷属していくはめにおちいる。資本家の数が減ったために、彼らの競争は労働者のことにかんしてはほとんどもう存在せず、そして労働者たちの数が増えたために、彼らの競争はそれだけ大きく、不自然かつ強引になった。それゆえに労働者層の一部は、ちょうど中程度の資本家たちの一部が労働者層へ堕ち込むのと同じように必然的に乞食状態か飢餓状態へ堕ち込む。
 そういうわけで、労働者に最も有利な社会の状況にあってですら、労働者にとっての必然的な帰結は働き過ぎと早死、機械への下落、彼に面と向って無気味に蓄積されていくところの資本の奴隷、新しい競争、労働者たちの一部の餓死または乞食状態である。
 //?/労賃の上昇は労働者たちの一部に資本家の致富欲をかき立てるが、しかしそれを彼はその心身を犠牲にすることによってでしか満足させることができない。労賃の上昇は資本の累積を前提し、そしてそれを招来し、こうして労働の産物をますます他人のものとして労働者に対置する。同様に分業は彼をますます一面的かつ従属的にするとともに、またそれはたんに人間たちの競争のみならず、また諸機械の競争をもひき起す。労働者が機械に成り下がった以上、彼に機械が競争者として対峙することができる。最後に、資本の累積が産業の量、したがって労働者を殖やすように、この蓄積によって同一量の産業はいっそう多量の製品をもたらし出し、これが過剰生産となって、その挙句は労働者の大きな部分が仕事を失わせられるか、さもなければ、賃金をかつかつの最小限にまで切り下げられるかのいずれかである。
 これが労働者にとって最も有利な社会状態、すなわち増進する富の状態の帰結である。」
「1844年の経済学・哲学手稿」『マルクス・エンゲルス全集40 マルクス初期著作集』p.393

以下「ビジョン」目次
はじめに

第1章 今後10年間に予想される潮流変化

1.グローバル化のさらなる進展
2.人口減少と少子高齢化の進行
第2章 めざす国のかたち

1.精神面を含めより豊かな生活
2.開かれた機会、公正な競争に支えられた社会
3.世界から尊敬され親しみを持たれる国

第3章 「希望の国」の実現に向けた優先課題
1.新しい成長エンジンに点火する
2.アジアとともに世界を支える
3.政府の役割を再定義する
4.道州制労働市場改革により暮らしを変える
5.教育を再生し、社会の絆を固くする

第4章 今後5年間に重点的に講じるべき方策

第5章 2015年の日本の経済・産業構造

おわりに

アクションプログラム2011