8月15日をめぐって 成瀬

8月15日の行動も終了し、改めて今年の「終戦記念日」を巡る出来事について、少しメモ程度に書き留めておきたい。
まず、靖国神社を巡って。
8月16日の朝日新聞では、靖国神社に当日は20万人もの人々が参拝したという。同記事において、昨年は6万人の参拝者があったというから、約3倍の人々が参拝したことになる。また、若い人間の参拝が増えたという。議員の参拝については、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」では47名、他にも別で参拝しているようだが、これは正確な数字がでないと判断できないが、ずいぶん減ってきたのではないかと思う。
一方で、同じく15日に政府により、東京都千代田区日本武道館にて開催された「全国戦没者追悼式」には約6,300人の人間が出席したそうだ。天皇が出席しているこの式自体がどの程度オープンに実施されているのかは私にはわからないが、靖国20万人と比較した場合には、その存在が霞む。この式典においても、「戦後」流れた60年という時間は大きな影響を与えている。式典参加者には、10年前に1771人(26,5%)だった戦争未亡人は、191人(3,6%)となり、戦死者の親は同じくこの十年間の間に23人から、ついに一人の参列もなかったという。
実際に存在した関係に基づく「追悼」が薄れゆくときなのだ、と思う。そしてやはり、靖国は「追悼」のためにではなく、「顕彰」のために存在し続けているという事実は何度でも繰り返し主張しなくてはいけないだろう。
デモの際に接触した街宣右翼も主張する「英霊に感謝」云々のフレーズは、例えば「日本のためにがんばった人」などという形で言い換えられ普及していっているように見える。私の祖父も靖国神社に合祀されているが、それと東条やらなんやらを同じく括るという発想には、かなり困難を感じる。祖父はその墓碑に陸軍伍長と書いてあるが、もし戦死による二階級特進をした結果を刻んでいるとすると、戦地では相当下の階級にあったのだろう。例えばあのデモの時に爆音で私たちの隊列を攻撃してきた、私と同い年くらいに見える若い右翼諸君は、自分と「英霊」の関係をどの程度実際の関係に基づいて把握しているのだろうか。顔の見えない英霊を盾とした威嚇は、いくら音が大きくても、どこか迫力がなく、なにか滑稽だ。そしてそれだからこそ、いくらでも暴力がふるえるのだろう。

次に、戦後60年談話について。
閣議決定された小泉談話の印象。平和という言葉がやまほどでてくる。「我が国が戦争への道を二度と歩んではならない」との言葉があるが、これが果たしてアフガニスタンへのアメリカの「報復」、イラクへの侵略に対して、一貫して追随し、加担してきた国の言葉なのか、と改めて怒りを感じる。
先頃国会で決議された「戦後60年決議」においても同様なのだが、「唯一の被爆国」という名乗りが、広島・長崎の数十万の人々の死と生き残ったものたちの戦後の苦しみと悲しみが、この間「有志連合」として参加してきたイラク侵略において使用された劣化ウラン弾による、イラクの人々そしてその人々の生きる大地の被曝を覆い隠すならば、私たちはやはり批判の声を挙げなければならないだろう。
民衆の被害の事実が国家による加害の事実を塗りつぶすことなきよう、受け止めることが課題なのだろう。(ここで、国家による加害といったときに、それがその国家を支えた国民を免罪するわけではない、ということは書き加えておくべきだろう。しかし、責任ということを考えたときに、国家に果たさせるべき責任というもの、そして私たち一人一人がその生の中で引き受けるべき責任といった区分について、その区別を意識した議論はさらに継続して行うべきだろう。アジア女性基金を巡る混乱についても、責任の所在はどこにあるのか、といった議論が不可欠だと思う。)
また、この首相談話においてはODAを通じて「世界の平和と繁栄のため」に貢献してきたというが、ODA大綱が改定され、「国益」のためのODAが謳われる今、明らかな矛盾が生じていることは指摘せざるをえない。

第三に、中国の対応について。
同じく朝日新聞から。インターネットを通じて呼びかけられた日本批判の集会や戦争犠牲者の追悼集会が、当局の圧力で中止になったという。いわゆる「反日デモ」により、対日関係の悪化を避けるためとの対応のことだが、主催団体がどのような団体であるかは不明であるにせよ、こうした警察による拘束も含む抑圧が、どのように中国社会に影響を与えるのだろうか。

第四に、大江沖縄戦訴訟について。
この訴訟のことを何と呼ぶかはまだ不明確なので後日変更するかもしれないが、さしあたりこの名称で。
作家、大江健三郎がその1970年の著書「沖縄ノート」において記述した住民の「集団死」について、軍人からの強制があったとする部分で、その当該軍人ならびに遺族が、名誉毀損と出版差し止めを求めて、大江健三郎と出版元である岩波書店を、この8月5日に大阪地裁に訴えたというもの。
8月16日の朝日新聞「伝える言葉」の欄で大江自身がこの裁判に対する文章を発表している。ここではさしあたり重要な参考文章として、雑誌「けーし風(かじ)」の2005年6月発行第47号中の論文「沖縄戦神話の再考」を紹介したい。
この論文では小林よしのりなどがよく引用する、曽野綾子の『ある神話の背景』や、宮城晴美の『母の遺したもの』なども取り上げつつ、1988年、第三次家永教科書裁判において沖縄戦の記述をめぐって、国との間で行われた論争と、そこでの論争の結果を無視する小林の『戦争論3』における沖縄戦の「書き換え」が象徴するような歴史修正主義者による沖縄戦の利用を批判している。短いが、内容の濃い論文である。「けーし風」はそれほど広く普及してはいないかもしれないが、大切な雑誌だと思う。
先に書いた原爆被害の問題とも重なるところが多いが、有事法制、国民保護法が制定されていく過程で、防衛庁沖縄戦を住民協力体制の構築のための参照事例としていることが判明した。「命令」と「強制」をめぐって、今後裁判戦が展開されていくことになるが、自分(たち)なりの関わり方を模索してみたい。