特攻隊に泣く小泉 成瀬

 ずいぶん前だが大久保駐屯地反戦を訴える「人間の鎖」という行動をしにいった日のこと。僕は、小泉が靖国神社に参拝する理由として、知覧特攻隊記念館を訪れた際に、感涙したことを理由に挙げていることを、見聞きするごとにこの日のことを思い出す。かの人は、特攻隊員たちの遺品の展示棚にぼたぼたと涙を落としたそうだ。(事情通の人は、あれはパフォーマンスであって、実際には遺族会の票の取込みだと言うだろうし、僕もそれを否定しない。ただ、本音だったとしても、醜すぎる)。
 あの日、大久保駐屯地の正門前から、すこし駅の方に寄ったところで、僕は「人間の鎖」に連なっていた。それは、基地を覆い尽くすなんて、とてもじゃないけど無理な長さだった。とはいえ、僕はそこから、終戦直後に3000人もの進駐軍が駐留した、目の前の基地の中を見ていた。すぐ前には堀があり、その向こうの柵と立ち木の奥に見える白い建物は、若い自衛隊の隊員達の宿舎のようだった。整然と並ぶ正方形の窓の二階部分、2、3の窓には五六人の僕と同い年か少し年下のように見える、隊員たちがこちらを指差し、談笑している。向こうからも、こちらがどういう主張をしているかはわかっていたとは思う。そうして、あの年若い隊員たちは、おそらくふざけてだろう、僕たちの鎖に向かって手を振っていた。それはとても不思議な光景だった。手を振り返す気には少なくともならなかった。あの隊員たちは殺すかもしれない。死ぬかもしれない。少なくとも、イラクに派兵される以上、今もなお空爆を続ける米軍に協力して、殺人行為により深くコミットすることは、まぎれもない事実だ。あの人たちはそうした戦地に赴く。このことはとても重要な問題のはずだ。
 僕は、誤解を恐れずに言うと、いまの自衛隊員が哀れに思う。小泉は特攻隊の記念館にいって、死者の遺品に触れ、涙を流したというが、それは特攻隊員が死んでいるからだ。出撃前に終戦を迎え、「特攻崩れ」と呼ばれ荒んだ生を歩んだ人。そうした人たちの為に小泉は泣かない。なぜなら死んでいないからだ。
 自衛隊の送出の風景には、涙を流す家族が常に映り込む。テレビはもっていないので知らないが、新聞でもそうだ。家族や近しい位置にいる人たちは、生きているその一人のために泣いている。僕は、この二つの涙に決定的な違いがあると思う。小泉が何を考えているか、というのは実は基本的にはどうでもいいはなしだ。現実問題として、彼は死んだ日本軍兵士にしか泣いていない、ということが重要なのだ(もっとも外交官2名が死んだ時に泣いたかどうかは不明。もし泣いていなかったとしたら、きっと小泉にとって、泣く程「美しい」死に方ではなかったのだろう)。
 生きている間に大変な思いをしているのは知っていても、涙を流すこともなく、その人が死んだことを聞いた時に、あるいはその亡骸を見た時に、涙がはじめてこみ上げてくる。そうしたことはあると思う。しかし、そうした涙をながす人に訪れるのは、生きている間に、もう少し自分はなにかできなかったのだろうか、という喪失の悲しみだけではなく、自己への反省なのではないだろうか。虚しい問いであることを知りながら、しかし問わずにはおられない問い。
 小泉は、防衛大学の卒業式が好きだという。一糸乱れぬ行進と、みなで放り投げる帽子の姿が美しいのだそうだ。ここで、この未来の幹部候補生と、すでに死んだ兵士を連続的なものとして捉えることが小泉にはできない。生きている存在が死ぬということ、この不可逆的な過程であり、連続である<いのち>を小泉は感じ取ることができない。小泉が見ているのは、生でもなく、死でもなく、小泉の持つ「美しさ」だけだ。死んだら、とつぜん、泣きはじめる。いまそこに唐突に死が出現したかのように。
 死地へとあえて人を赴かせることは、僕にはできない。そこではすべての反省は欺瞞だろう。ありえるならば、ともに、赴く場合だけだ。赴きたくないが。なるほど、この考え方は身近な人間関係を、国家のレベルにまで乱暴に敷衍する議論かもしれない。日常の人間関係の同心円上に国家を設定する論理は、国家の本質である暴力の独占を不可視化し、見誤らせる装置でありであり批判されるべきである。なにがしかの「論理」をもって、派兵を不可欠であるとすることは可能だろうし、それを「現実主義」だと言い張ることもできるだろう(小泉にはその論理すら見当たらないが)。しかし、「現実主義」的であることが痛みを消すはずはないのだ。なぜ、自らが人を死ぬかもしれない、殺すかもしれない境遇に追い込むことについて涙しないのか。その二分法自体を批判的に考察する必要があるとして、理想主義は現実と理想のギャップに、そして現実主義者は現実それ自体に痛みを覚えながら決断を積み重ねていくものではないだろうか。「現実主義」を自称する人が、痛みに対して鈍感であるという気がしてならない。麻酔としての「現実主義」は全体主義の異名でしかない。
 この痛みがあるならば、必ず選挙で自らの立場を鮮明にし、自分たちは間違っていない、と主張するはずだ。ここ最近の報道で、サマワでは自衛隊への抗議のデモが行なわれたり、また迫撃弾が打ち込まれたりしていることが明らかになっている。死は、そう縁遠いものではなくなっている。なぜ、この人を殺す派兵を遂行しておきながら、郵政が争点だなどと青筋たてて怒鳴れるのか。また、その人間が同時に特攻隊に感動したなどと言えるのか。そうして人が死んでから、その「美しい死」に向けて流される涙に、なにかひとかけらでも意味があるのか。
 こんなサイトを読んでいる自衛隊員の人はいないと思うが、死んでからしかあなたの為に泣かない人を信用してはいけない。従ってはいけない。生きているあなたの為に涙を流すことができる人のために生きてほしい。そして、それはイラクへと赴くことでは、派兵国家化を進めるこの国で自衛隊員として生きることではないと僕は思う。こういう僕個人が具体的に何かをしてあげられるわけではない。一人でできることと言えば、職を失った人のためにいつもより一人分くらい沢山ご飯をつくることくらいだ。そんなんでは、全然足りないだろう。人が軍人として生きる必要のない社会をつくりたい。それはすでに軍隊を生み出した私たちの歴史において、一人でやるのはとても難しい。それには沢山の人の力が必要だ。ともに闘おうという呼び声がともに生きようという祈りと同じでありますように。