7月26日運動 成瀬

7月26日に書こうと思っていたけど、あとまわしになってはや三日。
うちのトイレには,日めくりカレンダーの代わりに「市民の暦」という1973年に小田実鶴見俊輔吉川勇一が編集した本がおいてある。一年365日、それぞれの日に昔どんなことがあったのか、っちゅうことを沢山の人が共同執筆している。
たとえば、8月29日のところを見ると、1959年三池争議がはじまる、1876年徴兵を嫌い一家心中などがそれぞれ短い文章で紹介されている、というものだ。
で、なんで7月26日かというと、1953年、知ってる人は知ってるだろうが、カストロの指揮する165人の青年がモンカダ兵営を襲撃したのだ。この日がキューバ革命の始まりの日とされ、キューバ革命運動が「7月26日運動」とされる理由だという。それだけだったら、いちいち書かなくてもよさそうなものだが、ついでにこんときに逮捕されたカストロの裁判所での演説「歴史は私に無罪を宣告するであろう」を読んでみたのだ。(平凡社「現代人の思想17民族の独立」堀田善衛編)弁護士の資格ももってたというカストロ、自分で自分の弁護をしているのだが、すごい。その民主主義への、民族主義への強い思想は一度触れてみる価値はある、と思いつつ紹介したかったのはここ。

われわれの可能性は、技術的、軍事的、社会的理由にもとづくものであった。ある人びとは、近代兵器は人民が独裁者にたいし公然たる正面からの闘いをいどむことを不可能にした、という神話をつくりあげようとつとめている。軍隊行進や兵器の派手な展覧は、この神話を助長して、市民のあいだに絶対的無能力感をつくりだすことを第一の目的としている。しかしどんな兵器も、どんな軍隊も、自らの権利のため闘うことを決意した人民を征服することはできない

それから6年後、1959年1月1日、カストロ率いる第二共和国が誕生し革命は成った。歴史はカストロに無罪を宣告した、ようにみえた。その47年後、現在、私たちはキューバの現状をどのようにみればいいのか。以前みた、2001年ごろのキューバの映像は、めちゃくちゃ軍の存在を誇示していた。カストロは、まだ演説していた。無罪宣告の結論へと至る主文は今も読み上げられている。歴史はカストロに、あらためて無罪を宣告するだろうか。
ただし、一応念のためにいっておくと、キューバが脱軍事化できていないだめな社会主義国家であるなどと一方的に宣告するつもりもない。
ちなみに、1927年生まれのカストロがバチスタに叛旗を翻し、武装蜂起して、パクられて、裁判でこの長大な演説をしたのは、26歳のとき。同い年やんけ!がびーん