麦の穂をゆらす風 成瀬


今日はかなり久しぶりに映画をみてきた。ケン・ローチの『麦の穂をゆらす風』という、1920年におけるアイルランド独立闘争を主題とした映画だ.最近は映画の情報はネットでみりゃあけっこうわかるのであらすじその他は公式ウェブサイトへ譲る。
http://www.muginoho.jp/introduction.html
映画をみたあと、この作品の時代である1920年という年が、朝鮮における三・一独立運動の翌年であったことを強く想起。大英帝国の支配、大日本帝国の支配。そこから、朝鮮戦争という分断を家族、とりわけ兄弟の絆を軸として描いた『ブラザーフッド』を思い出した。人民の抱えた矛盾をある家族(それは、共同体的な何かに埋め込まれて存在している。アイルランド史に詳しくないので、それをいわゆる「ムラ」といっていいのか私は今わからない)に集約させて表現しているという点ではこの二つの映画は共通しているが、「政治」についての表現者の考え方は随分と違うようだ。その違いは、二人の監督における、民衆のどのような姿を捉えたいかという違いでもあろう。人々の状況に巻き込まれていくものとしての姿と、経験と思想を糧に状況に介入しようとする人々の姿の違い。とても悲しく、良い映画であったと僕は思う。
最近はドキュメンタリー映画でも優れた作品を目にすることが多いが、フィクションの価値を改めて教えられた気がする。
最後にケン・ローチの言葉を引用する。
「私は、この映画が、英国がその帝国主義的な過去から歩み出す、小さな一歩になってくれることを願う。過去について真実を語れたならば、私たちは現実についても真実を語ることができる。英国が今、力づくで違法に、その占領軍をどこに派遣しているか、皆さんに説明するまでもないでしょう」。
わたしたちは同じ課題を、その身に負うている。

写真は、映画でみた風景に近いものをネットで検索して拝借した。http://ireland.europe-cities.com/より。美しい光景も、かつて兵士が這いずり回り、処刑のあった場であることを憶いだすこと。
眠いから途中でやめる。また機会があれば。<メモ>また、劇中ともに武装の道を選ぶ青年たちが、大工場の労働者の共同性ではなく、また別の共同性に支えられていることに興味。農業労働者、職人、医者とさまざまな職種・立場にある人間の交流の姿、スポーツ・ビリヤードなど。女性の立場。社会主義という理想。ソンム。