幾人かの友人たちと、月に一度三里塚ワンパック野菜を食べる集いをもちはじめて、もう五年になる。「三里塚」と聞いて、このブログをみてくれた人はどのようなことをイメージするのだろうか。70年代も最後の年に関西に生まれた自分にとって、それは昔大騒ぎがあったところというくらいのイメージしかなく、それが成田空港なるものと同じ場所であることすら殆ど理解していなかった*1
「今月の野菜」
ワンパック野菜というのは、今もその三里塚で農業を営む人々が、有機農法でつくりあげた野菜のことを指す*2三里塚闘争が熾烈を極めたただなかではじまり、もう30年にもなるという。30年間もの働きかけが蓄積された土壌は、そこで働く様々なひとびとの仕事を媒介にして、毎年非常においしい野菜を生みだしている。
僕たちが田植えの手伝いという名目で訪れたのは、ちょうど翌月に有事関連三法が強行採決されることになる五月だった。その前の年から、有事法制に反対する集会は東京を中心として数万人規模のものが頻繁にあり、自分たちも車を運転してよく参加していた。そうした行動のあるとき、デモのあとの交流会で三里塚出身の同世代の人と出会い、一度現地を訪れることになった。
「今月の料理」
実際に現地を訪れてみると、極度に人権が侵害されている状況であることは誰しもが感得できることである。同時に、そこで酒米の田植えが終わった後、さまざまな人たちと交流し、現地で採れた野菜を食べて感じたことは、先に述べた状況に対する怒りのようなものだけではなく、「魅力」であった。「ここに何らかの形で関わりたい」と思った。とはいえ、すでにいろいろ抱え込んでいるのに新たに支援組織的なものを立ち上げるのも力量的に困難だ。「三里塚ワンパックの会」から野菜をとりよせるにせよ、関西にいる自分が日常生活で消費する野菜の全てを三里塚から供給するのはいかにもアンバランスな感じがした。
そこで、「三里塚野菜の会」という形式で一ヶ月に一度、野菜パックをとり、丸ごと食べ尽くしてしまうという集まりを持つことにした。カツドウ的なものをくっつけると続かないことは経験的に理解していたので、とりあえず基本食べる、食べるだけである。余力があるときには読書会や学習会などもおこなう。酒を飲んでの与太話というのが殆どであるが、農業のことや運動のこと、会議以外にもそんな時間があったほうがいいな、と思うのだ。
「収穫祭の風景」
毎年11月には現地で開催されるワンパック収穫祭に京都から訪れている。数年間参加していて思うのは、三里塚個別の状況変化、この国の農業を取り巻く状況の変化、そして地球温暖化というグローバルな変化、そうした重層的な変化が、私たちが食べているこの食べ物、野菜にも確かに現れているということだ。それは現象としては小さなものかもしれないが、この微小の存在を梃子としていろいろ考えたりすることもできるかもしれない。
こうした社会運動とよべるほど大したものではない、なんだか緩いうごめきにまつわる雑感も、記録さえしておけばいつか社会の変容を捉える手がかりの一つくらいにはなるかもしれない。そう思って記録をたまにつけることにします。
成瀬

*1:三里塚闘争に関しては様々な本が闘争の同時代に出版されましたし、また今も良心的な出版社の手によってポツポツと出続けています。インターネットのほうはきちんと検索したわけではなくまったく詳しくないのですが、このブログからリンクをはらせてもらっている草加さんの「旗旗」での、ご自身の経験をもとにした叙述には迫力を感じます。また最近「小説・三里塚」をアップされたのは素晴らしいと思います。また自分のお薦めの本などはおいおい紹介していきたいと思います。

*2:もし良ければ、三里塚ワンパック野菜のウェブサイトを参照してください。http://www11.ocn.ne.jp/~onepack/index.html