The first anniversary of the eviction of homeless-people lived in Nagai-Koen, Osaka.



「あなたは貧しい人々を助けたいんだね。でもね僕は貧困をなくしたいんだ。」
        ビクトル・ユーゴー「93年」*1

「私が貧しい人たちに食べ物をあげると、人は私を「聖人」と呼びます。だけど、私が「なぜ貧しい人々は食べるものが無いのか?」と聞くと、私は「やっかいもの」と呼ばれます。」  
     ブラジルのレシーフェ大司教ドン・エルデール・カマラ*1



長居公園強制代執行から約1年が経とうとしている。この出来事については下記に書かれているので見て欲しい。
長居公園http://www.news.janjan.jp/area/0702/0702059516/1.php

1周年を振り返ってその意味をもう一度考えてみたい。そこで多くの現実を、野宿者がその存在を通して明らかにしたんだと思っている。端的に言えばこれは僕たちへの「生存権」への侵害行為であり、「生存権」を貶められることで僕たちは生きざるを得ないということだ。
競争の激しい社会の中で、人を蹴落とし、見下だし、自分の地位を必死に維持しなければならない。そうでなければ彼・彼女らみたいになるという脅迫を、自分たち全体に加えられたんだと、大阪市=行政のやったことを理解している。

実際、自分達若者が正規職についてもサービス残業や過酷なノルマがかされる。20代、30代が一番こき使われている。*2それにもかかわらずその仕事に必死にしがみつこうとして、がんばっているのが僕達の世代だ。*3
この社会では、買い物で店員に仕事のストレスをぶつけるため、八つ当たりをする。また、働きすぎ鬱・不眠症になればいいほうで、仕事中に倒れたり、最悪の場合、過労自殺に至りかねない。

非正規やフリーターであっても、ワーキング・プアで貯蓄なんてないし、当然年金・社会保険に入っていない。将来なんて考えたら憂鬱になる。
街で野宿者を見かけたら、自分の未来ではないかとぞっとして「あいつらみたいには自分はならないぞ」と心のなかでつぶやき、なぜかその存在がむかつく。人々がその存在を確認することで「仕事をがんばらなければ」と自分を奮い立たせる、見せしめ的存在が野宿者である。*4潜在的恐怖・優越感を都合よく利用している。そう権力のやり口は、江戸時代の身分制、イギリスの救貧法、戦前の救護法の時代から古今東西変わっていない。「上見て暮らすより、下見て暮らせ」だ。
現代都市は「持たざるもの」同士をいがみ合わせて、競い合わせるよう巧妙に仕組まれている。こうやって僕達は野宿者と分断され、都合よく統治されているんだ。「生存権」を不安定化させること、野宿者という「底辺」を意図的に作り出すこと、それ自体が今の資本主義経済を駆動させるための、中心的な戦略となっている。

断言していい。フリーターは未来の野宿者であることを。路上でのたれ死ぬ「自由」がある2重の意味で自由な存在が、フリーター(自由な人)。現在の野宿者だって、日雇い建設労働者や住み込みでの不安定就労者出身が多い。今野宿に至っているのは過去のフリーターだ。実際「ネットカフェ難民」「マック難民」の出現はその前兆ともいえる。
しかしこのようなフリーターと野宿者が同じ境遇を抱えた集団として、出会えているかといえばそうではない。そこに社会的排除の問題をみたい。
ワンルームマンションに生活費の多くを取られ、たまの休日は家で過酷な仕事の疲れを癒すため、寝て過ごすのが精一杯。街にでても、スターバックス等商業資本の場所が占められ、金がなくても知らない人々が交流し、対話する広場的な場所なんてない。

一方深夜の大阪駅周辺を注意深く歩いてみれば、路地と路地に入って、ビルの少しの隙間に野宿者が息づいているのを感じることができる。その時の衝撃!梅田という巨大高層ビルが林立する現代都市の只中に、不可視化された多くの野宿者がすっかり飲み込まれていたというのだ。グローバリゼーションの最先端の商業空間の只中のグロテスクな風景。深夜だれも通行人が通らない荒涼としたハイテクビルの砂漠の中で、一夜の雨露をしのぐ人々がこれほどいるとは。昼間は多くのフリーターが低賃金で働くことによって成立しているにもかかわらず、彼・彼女は全く別の住人として遭遇することはない。それがグローバル・シティ大阪の現実だと思い知らされる。

長居公園では、集団としてテントを作る行為によって、「自分達はここいる」と野宿者の存在を社会的に可視化していた。そしてフリーターを始めとした異質な人々が偶然に出会い、語り、励まされてきたオープンスペース・コミュニティーだった。強制排除は一つのテントを排除しただけでなかった。開かれたコミュニティーから相互に存在を切り離し、社会的排除したのだ。そして誰も利用しない遊歩道に変えた。

人々が想像し、自発的に繋がること。自分達の権利をそもそも知る事。あなたの権利を守ることが自分の権利を守ることに繋がることを理解し始めることをなによりも恐れたのがやつらである。「もうたくさんだ。自分の未来を脅かされて働かされるのは。自分の未来といがみ合い、対立させられるのは」だからこそぼくらは相互に削り合わされている世の中で、分断を乗り越え、社会的な連帯を希求する。
                                  サパタ


*1ダミアン・トゥ−レ、エリック・トゥサーン、大倉純子訳(2006)「世界の貧困をなくすための50の質問―途上国債務と私たち」柘植書
房新社


*2グローバリゼーションによる経済競争とIT化により、世界的に労働時間が伸びている現状を批判的に論じた本として 森岡孝二(2005)「働きすぎの時代」 岩波書店 がある。日本では若年労働者の労働時間の2極化が進行している。非正規雇用の週35時間未満と正規雇用の週60時間以上の2つのカテゴリーが増大しているとしている。

週60時間以上労働の割合 (ワーキング・パーソン調査2004参照)


*3いわゆる「753」現象の数字が有名。現在3年で中卒は7割、高卒は5割、大卒3割が仕事を辞めている。政府は若者の忍耐力不足としてバッシングしているが悪質なデマゴギーだ。現実には異常な現代の職場環境がある。
熊沢誠(2007)若者が働くとき―「使い捨てられ」も「燃えつき」もせず ミネルバ書房を参照のこと

*4名古屋の笹島診療所が取り組んだAさん生活保護裁判において、交通事故で足に痛みを抱える「野宿者」Aさんに対して軽作業が可能なら生活保護は適用できないと厚生省労働省は主張した。その理由の一つとして「その程度で生活保護を適用すれば、世間一般の就労意欲を削ぐ」という趣旨の文書を裁判所に提出した
藤井克彦・田巻松雄(2003)「偏見から共生へ―名古屋発・ホームレス問題を考える」風媒社参照