私見(成瀬)

一週間ぶりにブログをみてみたら、超盛り上がっている。
こうした事態をみて、断片的に思ったことを書いておく。


僕の頭をよぎったのは、イラク戦争批判の気持ちを持つ、とりわけ若い人たちが、いま、周囲からのこのような要求に晒されておしつぶされてしまっていないか、ということだ。長年にわたるチベット民族抑圧政策が「対テロ戦争」というお墨付きを得て一段と強化されてきたことへの反感が、未組織的暴動へと転化したことに対して、中国政府が圧殺をもって臨んでいることが間違っているのは自明であるがゆえに、余計にである。


とりわけ、ともに行動する仲間にまだ出会えず、一人でそういう気持ちを育んでいる時にこうした要求を突きつけられるのは、よっぽど図太い人でもないかぎり、非常にしんどいことであると思う。そうして、胸に宿る現状への違和感が、要求の先に見え隠れする暴力を察知して、言葉や他の表現形態へと転化することをやめてしまうことは容易に想像できるし、それはとても悲しいことだ。


表現解放、という言葉を集団の名前につける時に、たしかそうした問題にも照準を合わせていきたいという議論をした記憶があるが、それはまだうまくいっていない。僕たちは、そうした人々と互いに支え合うことがまだうまくできていない。


挑発の混じる批判の沸騰を「反共勢力」や「ネトウヨ」の策動とカテゴライズしてしまうことはたやすい。とはいえ、それはおそらく実態と違うし、また、仮にそれが事実だとしても、課題に取り組めていない自己を正当化することにはならない。僕がいいたいことは、それでも理想からほど遠い自分自身に負けてはいけない、ということだ。弱いものたち同士が支え合うためには、自らの不十分さを棚上げにせず、かつ、いま、ここで可能なことを少しづつ共に実践していくこと以外にないと思う。


ある一つの課題に取り組んでいることに自足し、閉じてしまったら、そこから連帯への志向もうまれない。
安直な憐憫の運動を拒否し、絶対の正義に基づく運動も拒否し、今の自らの不十分さをふまえたうえで、よりましな自分(たち)、より良き社会を作ることへとコミットしていく試みを僕は続けたいし、またそうする他の人々とつながっていくことにしかその実現可能性はないだろう。


2008年3月20日はイラク戦争開始からまる五年になる日である。
何度でも私たちはいわなければならない。戦争に反対する、自衛隊は即時撤退しろ、と。


いま、迷っている人へ、ぜひ共に街頭へでることを改めて呼びかけたい。
錯綜する現実へと向き合う勇気は、たとえショボくとも共同の実践の中から培われるだろう。

イラク侵略戦争開始5年 なくせ!戦争と貧困 3.20ピースアクション

3月20日木曜日・春分の日 午後二時開始

会場:鴨川三条河川敷 三条大橋

集会後、3時から 円山公園までデモ