鴨川コモンズ報告+今後のこと
去る6月8日、鴨川コモンズと称するイベントを開催しました!当日はだいたい入れ替わり立ち替わりもあったのですが、80人くらいの人が来てくれていたと思います。
写真は少し遠くから撮影したものです。G8サミットが活発な議論を呼んでいますが、それに対して、いま・ここで少し違う世界を実現してみよう!というささやかな寄り合いでしたが、多くの人の参加をえることができ、のびのびとした雰囲気の中、取り組むことができたのはとても良かったと思います。
最初に、東京、名古屋、北海道からのゲストを迎えて、この間取り組んできた海外でのインフォツアーの報告を聞きました。積極的な取り組みに頭がさがる思いです。また、北海道でのオルタナビレッジの報告もありました。
多くの方が、この報告をきいて、自分も何かできるかも!と関心を高めたのではないでしょうか。
次に、酒井さん、山森さん、廣瀬さんによるパネル・ディスカッションがもたれました。
三人ともトークがうまく、会場は結構聞き入る雰囲気だったと思います。酒井さんから、こうした場がG8体制に対して持つ根本的対抗性の可能性について提起があったのちに議論がおこなわれましたが、なかでも誰かがいった、あえてする挑発的な問題提起として、こんなところ(鴨川)でこんなこと(=鴨川コモンズ)してて、政治的意味が果たしてあるのか?なぜ直接行動ではないのだ?というコメントが印象に残っています。
私は、やっぱり、それでもこうした出会いの場には世界を変える意味がある、と思います。商品化のうねりに飲み込まれている私たちが、市場の準備した出会い以外のかたちで出会いなおすこと、、、、。「いま・ここ」でやることの重要性と、「いま・ここ」の決定的不十分さ、足りなさにあまんじず、それでもゆっくりといろいろとトークしていくことが、僕たちにできることではないか、と思うのです。
それは、反資本主義の華々しい直接行動とはまた別に、非常に大事なことなんだと思います。それはある側面からすれば語弊があるかもしれませんが、過激さに「逃げない」勇気だと思います。
「テロ」はやっぱり目立ちますからそれをめぐって賛成反対ケンケンガクガク議論が巻き起こるわけですが、それがかくしてしまうことの方が多くて、そのこと自体が問題なんだろうなと思います。例えばパレスチナ問題、といったときによくイスラエルの国家暴力と対するパレスチナの人の自爆攻撃ということが図式化されます。そして、抵抗の暴力が云々という議論になりますが、暴力の道を選んでいないパレスチナ人もまたしっかりといるのだ、ということが消し去られてしまうことの暴力性こそ運動が超えられるのではないかと思っています。日々、目立たぬ、しかししっかりと危険だけは伴う地道な活動を続けている人が、どれだけ誠実に運動をしていようとも、世界が注目するのは「テロ」だけ、というのはとっても悲しい状態です。あ、脱線しました。すいません。このへんはまたこんど。
集まりは、日が暮れるころまで続きました。小田マサノリさんの映像やDJの音楽にあわせて、のった人々で音を出しました。これが結構楽しかったな、と。プロのミュージシャンの情熱や技巧にも魅せられますが、僕は一緒に音を鳴らすことの大事さってあると思います。
スローガンやシュプレヒコール、演説になる以前の共同性そのものとして、まず音を鳴らす試みはあってよい。ひとりひとりがバラバラなところには、どんなスローガンも生まれてこないんだと、デモを続けていて思ったことです。
「戦争反対」これは正しい。多くの人はいまなおそういう気持ちを大事にしている。だけど、それだけでは、力のある、集団の「言葉」にはならない。一人一人の生きていく上での悩みや、楽しかったこと、悲しさや辛いこと、そういうことを話し合える開かれた関係の上に、集団の「言葉」や「知恵」が生まれてくるのではないだろうか。がっちりした「党」や「組織」をあえてつくらずユルくやることに踏みとどまるのはそういうものに憧れているからなんだろう、、、。
もう一週間前のことになりましたが、一緒に場をつくった参加者のみなさんはどんなことをおもわはったんでしょうか。また感想コメントなどいただけると嬉しいです。