『ペシャワール会報』(2008年9月16日付・号外)を読んで

昨日、家に戻るとペシャワール会の会報が届いていた。「現地ワーカー 故・伊藤和也さん追悼号」と題した号外である。
伊藤さんは、私とほぼ同年代、年齢上は若干先輩にあたる。伊藤さんが殺害されたとの報道以後、私は日々の暮らしの中で自分自身のこの間のあり方を振り返ることが多くなった。
2001年の10月5日、アフガニスタンへの報復戦争が始まるという知らせをうけ、私の友人は大学構内でハンガーストライキをはじめていた。私は、何をしていいのかわからず、ビラを書いたり署名を集めたりしていた。あれから七年が経った。私たちは今なお平和をつくりだすことからほど遠い状況にある。伊藤さんがペシャワール会の現地ワーカーを志望し、その動機をつづった文章の日付は2003年6月15日とある(同号所収)。その数ヶ月前、京都でも4千人規模のイラク反戦デモが組まれた。動員も一部にはあったろうが、ほとんどは自発的な市民の参加に見えたそのデモは、集合場所である京都市役所前広場を完全に埋め尽くし、デモの先頭が解散地点の円山公園に着いたときにも、まだ私のいた最後尾は出発していなかった。しかし、私たちはその反戦への動きをさらに強めることはできなかった。
私は生前の伊藤さんと一面識もなく、かすかなつながりといえば、ペシャワール会に私も入会し、極めて僅かながらの支援を会費納入を通じておこなっていたというにすぎない。にもかかわらず、なぜこれほど心が揺さぶられるのだろうか。それは自分自身の無力さを浮かび上がらせるからかもしれない。
死者を思考の基底に据えることは、私が極力自分に戒めてきたことである。なぜならば、そうした思考を選び取ることが、同じ出来事を生き延びた人びとの生に無関心であることに結びつくように思えたから。しかし、いま、再び国会で給油延長という無法の合法化が行われようとしているとき、この七年間の間に失われた命と生活への思いが私を捉えて離さない。そして、再び給油延長することで、また新たに未来を断ち切ることになるのだ。
これまで殺してきた、破壊してきた命の重みは、私たちが声をあげるのにはまだ不足だろうか?そうではないと思う。
9月11日の同時多発テロが分明に対する攻撃であるとブッシュはいい、小泉はそれに追従した。しかし、実際には10月7日以後の過程、暴力による報復を意図的に選び取ったというその事実こそが、以後七年間にわたる破壊と暴力に委ねた野蛮の根源であった。林防衛相は9月11日の訓辞のなかで、テロリストは「抑止のきかない」存在であるとし、それとあらゆる手段をもって非妥協的に闘うことを要請した。しかし、民主的抑制のきくはずとされている国家が、その権力=暴力をむき出しにした、抑止の効かぬありかたこそが2001年以後の世界を規定した。
いま、大きな揺り戻しが必要だ。『会報』号外の中村哲医師の「憤りと悲しみを友好と平和への意志に変え、今後も力を尽くす」という誓いに向き合いたい。知人には伊藤さんの友人葬に参加された人もいるので、デモ当日はぜひ報告がいただければと思う。
成瀬