[読書メモ]森岡正博『感じない男』ちくま新書

唐突だけれども、色々な内容があってもいいとのことなので。初投稿。

森岡正博さんの『感じない男』が、この2月7日に発売されたので、買って読んだ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480062211/qid%3D1108396044/250-5365970-4805033
感じない男 (ちくま新書)
森岡さんの本は、「生命学に何ができるか」を自分の介護者としての体験に引きつけて面白く読んで以来,けっこう愛読している。

自分の性的な好み(自分が何に性的な欲望を感じるか云々)を語るのは、よっぽど親しい間柄でもむずかしい。
はっきりいって、かなり恥ずかしい。
自分自身のこれまでのあり方を考えると、自分の性的なありかたを話すことを避けることの対価として、フェミニズムの文脈において弾劾されてきた,男性の性のあり方をそのままに自分のものとして認め、自己批判してきたような気がする。

とりあえず、その批判を受け入れていると表明しておけば、それ以上つっこまれへんやろ、という逃げを、もちろん意識して戦略的にやっていたわけではないのだけれども、この森岡さんの赤裸々な本を読んでからは、改めてそうした自分の「逃げ性」を意識しだした。

でも、僕のようなヘテロ男性が赤裸々に語ると、どうしてもそれって男という制度がもつ暴力性/抑圧性の再生産にしかならんのでは?と思ってしまう。ぜんぜん「解放的」じゃない。何かヤバさを感じる。それをいくら語ったところで、今あるものが変わるわけではなくて、もっと積み重なるだけちゃうんかという。そして、その性のあり方は、吐き気を催すような事件(そして社会から事件と名付けられないような、個人がその内に抱え込んでしまっている出来事)を、今もって起こし続けている。でも、ちゃんとそういう事件を起こす性のあり方との、同じところと違うところ、そして変えたいところと変えかたをちゃんと考えていかないといけないと思う。いくら醜くて、みたくないことがたくさんあっても。ぼちぼちやっていくしかないんだなぁ、、、、

理解のあるオトコではなくて、一緒に生きていきたいってとこをみるオトコであるためにどーすればよいのか、という先達に、この本で森岡さんはなったと思う。他人と一緒に生きていくってところを考えなかったら、こんなこと考える必要ないんだよね。でも、内容はかなり冒険やなーと思った。
聞く耳をもったうえでのストレートな自分の語りをもたないと、ちゃんと批判もうけれない。そう思います。
無理とに一人称で語ろうとすると、それはそれで危険もいっぱいなんだろうが、、、

成瀬(とりとめもなく終わり)