選挙と派兵状況

 選挙運動がついにはじまった。新聞もずいぶん盛り上がっている。やっぱし反戦生活でも、この状況にはなんか介入した方がいいんでないの?と思う。
 すでにイラクのマリキ首相は5月4日、共同通信との会見で日本に対して自衛隊によるものよりも「文民支援」を望む意向を表明している(『京都新聞』5.6)。にも関わらず、そうした経緯を一切無視して、政府は6月20日参議院本会議で、「改正イラク復興支援特別措置法」を成立させた。現地の意向すら確保されていないことが明確であるにもかかわらず、である。同法により、2009年7月末までの航空自衛隊派兵の延長が可能になり、見直しをおこなう期間は当初半年間を予定していたが、批判の高まりを避けるために一年ごとに延長された。
 イラクの状況については、先日のサパタ(?)の投稿でも紹介されていたが、新聞では「テロ」の報道が続いている。また、イラクと同様、この四月以降アフガニスタンにおける状況がさらに深刻化している。アフガニスタンでは、NATOを中心とした国際支援部隊(ISAF)が「タリバンの掃討作戦」を続けており、それには空爆も含まれている。先日アフガニスタン西部では、この作戦にともなう武力行使で一般市民108名が死亡したという(『京都』07.7.8)。
 このアフガニスタンに、日本へ自衛隊および警察官の派遣要請が寄せられていた。新聞を読む限りでは、4月の段階ではEUから「文民警官派遣要請」が寄せられている(『京都』4.25)。これに対して久間防衛相(当時)が自衛隊支援を検討、との回答をしているが、その後の経緯は不明である(『京都』5.5-6)。さらに、次期米国防副次官からははっきりと派兵の要請があった(『京都』6.30)。こうした派兵検討がG8での発言権とバーターで構想されているという点が恐ろしい。自衛隊員の<死>が、国際社会で発言する基礎となるというのだ。確かにこれはG8の論理である。G8ごと否定しなくてはいけないわけだ。
 さらに恐ろしいのはこうしたイラクアフガニスタンを中心とした占領者たちの暴力が、隣国へ飛び火し続けているということで、すでにイラク北部と国境を接するトルコ東南部ではPKKクルド労働者党)への弾圧を加えるために(およびイスラム主義の最大政党公正発展党への存在感誇示のために)軍による「戒厳令」に近い状況が現れ(『京都』6.10)、アフガニスタンの隣国パキスタンでは、米軍による地元勢力への攻撃すら行われ(『京都』6.20夕)、こうした状況が先日の軍事政権による「イスラム過激派」虐殺事件へとつながっていることは疑う余地がない*1
 年金の問題を筆頭に、政府への不信が高まっている。また、相変わらず「政治とカネ」という問題も重要だ。このイラクアフガニスタンへの最低最悪の税金垂れ流しをも、止めるような流れを作り出していきたい。どうすればいいのだろうか。上記のような状況に対して、軍隊を派遣することしか思いつかない政府が、ひとびとのためになる政府でありえるはずもない。イラクアフガニスタンに生きる人々の生活も同じ人間の生活じゃないか。
 でも、いま、にんげんとしての平等性という観念自体を徹底的に破壊しようというのが資本と国家の戦術であるように見える。そのために、「尊厳」を破壊する攻撃を続けている。それが支配の精神だ。
 「戦後レジームからの脱却」は確かに重要だ。なによりも、戦後もっとも長期間にわたり政権を維持してきた政党による権力構造およびその政党が死守してきた日米安保体制からの非軍事的・民主的脱却が必要だ。
成瀬

*1:こうした各地への紛争の拡大はアメリカの軍事戦略を変容させている。それを戦争の都市化と呼びたい。有名な例が「Urban Resolbed」というシュミレーションがある。米軍のもっとも優れたコンピューターを利用して、インドネシアの首都ジャカルタの再現をしたものである。160万の建物、10万の乗り物、リアルタイムの生活をする市民がプログラムされたその仮想空間の目的は、2015年に米軍がジャカルタにおいてフルスケールで戦争を展開するというシミュレーションのためなのである。マイク・デイビスが「Planet of Slums」の終わりのほうでとりあげた、都市における軍事の展開について、Sthephen Grahamは"War and the City"New Left Review,44,Mar.-Apr.,2007.で上のような興味深い事例を挙げながら具体的に記している