文科省にみる党派性

京都新聞7月4日朝刊で各省庁の次官人事が報道され、文部科学次官に銭谷氏昇格とある。
この銭谷真美(ぜにや・まさみ)というのは、同記事によるとタウンミーティングのやらせ質問案作成に関与したとして、昨年12月に訓告処分をうけた人物であり、また初等中等教育局長として、今国会では教育関連三法改悪の国会答弁にたつ責任者であった、とある。最近、テレビで自民党の幹部が、安倍内閣の人事は論功行賞ではないかと批判され、「論功行賞の何が悪いのか」と言っていたのを聞いて驚いたが*1、それ以上に現在の文部科学省では「タウンミーティング」の一件も出世を止める要因たり得ないのかと思うと恐ろしい。許せん、、、、、、

よけい許せんのは、おなじ文部科学省が、沖縄戦時における「集団自決」への当時の軍の関与の存在を、教科書から抹消させた際に「軍の強制は現代史の通説になっているが、当時の指揮官が民事訴訟で命令を否定する動きがある上」云々とのたまっているからである(『京都』3.31)。ここでの民事訴訟が「大江・岩波訴訟」*2であることは明らかである。なるほどあの裁判は、原告の支援者の中に僕と相容れない存在がいるにせよ、そこで提起されていることの中で、個人をめぐる事実と責任の検証、それにもとづく新たな記述の模索は当然必要であると思う。

しかしながら、当然右派によるキャンペーンはある一個人の事例をもってあたかも「命令」全てが虚構であるかのような主張を行い(そしてこれが文部省が教科書会社に事実上強制している立場である)、またそのことを通じて、もっとも本質的な問題である社会の軍国主義化の問題性をも隠蔽しようとしており許容することはできない。
さらにこの検定にまつわる動きは教科用図書検定調査審議会に、わざわざ文部科学省の教科書調査官が「意見書」を提出したからであることも、先月明らかになった(『京都』6.16)。
やらせタウンミーティングも訴訟真っ最中だぞ!!と。ある一方の民事訴訟をもって、そこで提起されていることを遙かに上回る規模で歴史を書き換えるのも文科省なら、ある一方の国賠訴訟は完全無視である。京都でのやらせタウンミーティング訴訟は、排除の問題が焦点化しているが、それは決してこの銭谷がやらせ質問を作成することで民主主義破壊に加担したことを脇に置いているわけではない。
国家賠償訴訟のゆくえを問わず、すでに政府はやらせタウンミーティングにおいて謝罪を行っており、銭谷とは国家に道を誤らせた責任者ではないのか。そうした人間がのしあがっていく。

露骨だ。銭谷昇進反対!
自民党政権による民主主義破壊を忘れないぞ!
成瀬

*1:政治家に問われる「功」も「罪」もあくまでひとびとに対するそれであって、決して一個人に対してのものではないはず。その区別がついてないから恐ろしい。朕は国家なり、かな。

*2:詳しくは、沖縄平和ネットワーク内集団死・「集団自決調査プロジェクト」http://okinawaheiwa.net/project/index.html大江健三郎岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会http://www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/沖縄集団自決免罪訴訟を支援する会http://blog.zaq.ne.jp/osjes/なお、このサイトの2007年3月30日のエントリで教科書からの記述削除を指し、「すばらしいことで、これでこの裁判を起こした目的の半分は達成されました」とあるのは興味深い。原告はこれでいいのだろうか?