京都市長選の結果について

                                  サパタ

自分たちが何回かのビラ撒きで取り組んで来た、京都市長選の結果が数時間前にでた。(京都新聞 http://kyoto-np.jp/article.php?mid=P2008021700123&genre=A2&area=K10)かなり悔しい結果。自民、公明、民主、社民の推薦した門川大作がなんと、たったの900票差という僅差で、共産推薦の中村和雄を振り切り、当選した。この900票は150万人が住む政令指定都市京都の規模から考えたらほんとに、ほんとにわずかな差だった。
正直に言って共産推薦の中村和雄にはどうしても通って欲しかった。*1

最も大きいのが門川大作という候補のあまりのひどさがある。京都市教育長として「心の教育」を推進し、タウンミーティングでの特定人物の不当な排除、教師の間を分断統治する「パイオニア委託事業」、企業と公教育を公然と融合した「ファイナンスパーク事業」推進等々。(京都市の教育長、教育再生会議委員として推進したことはあまりにもありすぎる。詳しくは「心の教育はいらない市民会議」http://sugakita.hp.infoseek.co.jp/newpage26.htm

また国保料滞納者への容赦のない保険証の取り上げが象徴するような、京都市の貧困者政策を継承する点。中村のビラにあった、保険証取り上げで病院にいけなかった人の話はこの市長という地位の重さを知らされた。これを見てくやしかったし、正直涙がでてきた。自分の住む町が医療を受ける権利が剥奪された人々を日々生み出しつづけているその事実に。

そもそも門川が「富を持つもの」のための候補者であることは明らかである。後援会長に京都の財界人のトップである立石電気の会長がつき、京都経済界の有力者が総力をあげて支援した。(堀場製作所の最高顧問が民主党を叱責したのをみて、こいつら経済パワーの存在によって、本当に民主主義が危機に陥っていると感じる。京都新聞参照、2月10日
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008021000054&genre=A2&area=K10

そのような階級性をもった候補である門川をどうしても落としたかった。900票の差という手が届きそうな結果にもっといろいろなんかやっとけばよかったとテレビを見ながらため息。次の市長選はこんな悔しい結果は見たくない。自分が住んでなかったらここまで思わないけど。終わってしまったものの大きさを、かみ締める。

それ以外では後元市議の30歳、村山が20代で圧倒的な支持を受けたことに対して、危機感を覚えた。村山は水道事業の民営化の検討を掲げるなど、新自由主義政策推進の確信犯。

全共闘世代=オヤジ、社会の中心層、守旧派 →20代が改革候補、自分の世代の代表村山支持

若者=マナー、教育の乱れ。自己中心主義  →60代以上が「心の教育」、「愛国心」「道徳」推進の門川支持

村山の得票にこんな図式があるのではないか。エイジ・フォビア、世代間対立を煽りながら、相互の不信感をイメージとして使い、政治の主要な争点をずらされていくというのが、京都市長選挙でも現実化した。本当は階級の問題の方が政治の争点として占めなければならないのに。無党派層が多く政治的に未知数で可能性を秘めた20代、30代に働きかける運動を作らなければならないのは、同世代の自分たちである。


*1 ひとつには中村の政策である「公契約条例」と「区民評議会」の構想の独創性がある。自分はこの2つが日本の選挙で公約になったのをしらない。「公契約条例」というのは京都市が発注する事業を受注する法人は、雇用者に時給1000円以上を保証するというものである。建設の日雇い労働者運動が特に提起してきた、日本の過酷な多重下請け制度、ピンはね構造を破り、非正規労働者の労働条件を幅広く底上げする効果が期待できる画期的なものである。
もうひとつの「区民評議会」制度は、京都市の各区ごとに公選で選ばれた区民評議会が、予算一億円程度を与えられて、地域の問題に取り組む制度である。これを拡充していけば参加型民主主義・住民自治の制度としておもしろい制度になると思っていた。
(ただし同和問題に関する中村の主張については理解できない。というのは被差別部落の経済的条件を改善することを志向する政策はアファーマティブアクションとして、特定のマイノリティー集団の貧困状況を集中的に改善する上で重要な意味があったと考えているからである。また部落解放運動は差別を糾すというだけでなく、貧困者のコミュニティ―運動としての側面を持ち、貧困対策を歴史的に一貫して議論提起してきた蓄積から学ぶ物は大きいと考えている。しかし個人的には経済的条件を改善する政策についてはアファーマティブアクションの段階を過ぎているとは感じている。その予算の性格を同和対策費から貧困対策予算に一般予算化し、代替するべきだ。そして、広く貧困層の条件改善に使うという形で予算を拡充することが必要とされている)