呼びかけ文ができるまで。(4月15日のエントリ<4.29メーデー呼びかけ>と合わせて読んでいただけると助かります)

 いつも、呼びかけ文をつくるときは定例会議であらかたの方向性と検討をして、メーリングリストで最後に確認をしてつくっています。いつも最終的に、ブログに掲載するなどして人目に触れる反戦生活名義の文章は、この経路を経たものだけです。今回は4月29日の呼びかけ文に関して、とても印象的な修正があったので紹介します。なぜかというと、個人的に印象に残ったということもあるのですが、ある社会運動が自分たちの結論を決めてから社会に呼びかけるというスタイル自身も僕はできれば超えていく必要があると思っていて、いかなる紆余曲折を経てそのような主張になっているのか、ということも積極的に開いていくことの重要性があると思っているからです。
 つまり、たくさんのいろいろな意見、理論、感覚をもった人びとが集い、その集合的な議論の果てに一つの主張をつくりあげていく、という運動の形式であり内実そのものが恢復されていく必要を感じているということです(よけわかりにくくなった)。
 一つの主張を掲げていても、それはけっして「反戦生活メンバー」という均質な、一枚岩の主体が存在するわけではなく、いろんなやつが集まってるんよ、ということが伝われば、と思います。
 前置きが長くなりましたが、「原案」が示されたあと、こんなメールがメーリングリストに投稿されました。

●●です。夜中にすみません。

明日の会議には行けません・・・。

少しだけ言ってみたくて書きます。

4・29のビラ文章案を読んで。

>景気がよくなったと言う人もいるけれど、過労死・過労自殺は減りそうもないし、労働・生活条件はシンドクなるばかり。

>それでも、自分たちの権利を主張できない

というところで、「それでも」という表現がわたしにはしっくりきません。シンドクなるばかりで、「そしてその上更に」権利、最低限の権利すら主張できない状況におかれてんじゃないかと。。。。

☆4・29企画について
自分たちの権利について、有休が正社員でも非常勤でもアルバイトでもすべての労働者に認められた権利であるというのを広くアピールするのは賛成です。でももう少し踏み込んで、じゃあどうやったらそれを自分にあてはめて自分のものとして実際に有休がとれる状態にもっていけるのかっていうところまで伝えていけないだろうか。AKYになってやろうと思えても、ひとりで言うのはとても難しいし、言ったところですんなり認めてもらえるとは到底思え無い。そこで労働組合からのサポートを貰える可能性を伝えれらた少しは心強く思えるかもしれない。「労働組合」というものが自分には遠い存在と思っているひともたくさんいるのでは?一人でも入れるのもあるよとか、労働組合にはこんなところがあるよとかせめて京都の中で活動している組合の紹介とかもできたら。自分の権利を自分のものとすることへの段取りや手段を提示できたら。。。そんなふうに思っています。でも、今は余裕が無くて・・・そんな準備をしていけるか自信はありませんが。

先日職場の他店舗の先輩と話す機会があり、そんな風に思いました。その先輩は店長もしているひとですが、「同じブロック内でどの店長も公休返上で働いている。「週40時間」以上の労働時間が最初からシフトに組み込まれているのは絶対におかしい、これは労働基準法違反だ−と。誰かこれを訴え無いものかなぁ・・・。」と話してはりました。AKYにはなれないと、変だとわかっていても一人ではAKYにはなれないと。じゃあ何らかのサポートがあれば、違ってくるんじゃないか。一人で動かなくてはいけないのでは無くて、専門的な知識をもち会社と交渉してくれるような存在があれば、あるとわかれば、サポートしてもらえると思えるなら変わってくるかもしれない。

労働組合ってそんなサポートもしてもらえるんですよねぇ・・?

京都にどんな労働組合があって、それぞれがどんな感じで活動しているのかを知りたいなと今回のことで思っています。

ほんとうにしんどいしんどいとこに置かれてしまったら、それを言うことすらできなくなってしまうと思う。そんな状態にさらされる人が少しでも減って欲しい。

今の仕事をしてきて、友人たちに愚痴をたくさん言ってきた。その時に、私が入っている労働組合に相談に行ったらいいよって言ってくれた友人も、いつでも一緒に話に行くよ〜って言ってくれた友人もいて、私はなんてありがたい友人たちが側にいてるんだろうとその度ごとにありがく思ってきたし、思っている。

そんな友人たちが側にいてるにも関わらず、まだ一度も相談に行ったことはないけれど。でも、自分には相談できる場所があると具体的にわかっているだけでも安心。


先週は朝しんどすぎて病院で点滴を受けてから仕事に行った日があった。そんな状態で仕事がいつもどうりにできる自信はまったくなかったが、でも交代で入ってくれる人がいない状態だったし休むことはできなかったからふらふらしながらも行くしかなかった。

働くってどういうことなんだろう。。。

体が悲鳴をあげてしまう状態になる前に。
ひとりひとりが自分の体や気持ちを大事にできるように。
繋がっていけたら。。。

 4月15日のメーデー呼びかけをみてもらえれば、わかりますが、結局のところ変化したのは「それでも」が「そのうえ」になっただけの小さなものです。だけど、僕はこういうある種の「効率の悪さ」が非常に重要だと思っています。ある微細な部分に自分が感じる引っかかりをそぎ落とさず、くみ上げていくこと。「党」を拒否して、あえて「効率の悪い」組織を作っている醍醐味とはこのへんにあるのではないか、と思っています。

成瀬(転載を許可してくれた●●さんありがとございます。)