移住労働者映画祭

posada2009-07-08

外国籍住民への負担を増やし、監視を強化し、さらに一部の外国籍住民を社会から完全排除するなど数々の問題が指摘された改悪入管法が、十分な審議がなされることなく、7日の参議院法務委員会で可決された。

ここ何回かの「反戦生活」ブログ記事がとりあげたことも、外国人を潜在的犯罪者とみなす社会を作ってはいけないということだ。



韓国では今月、移住労働者映画祭が行われる。
公式のホームページ(http://www.mwff.org/ 韓国語)には、英語版もある(http://mwtv.or.kr/ff2009/index_eng.html)。
ポスターがこれだ。

「チャンポンがいい」




上映される映画は以下のようなものである。ホームページより、引用者訳。

「蝶の歌」
新しい生を探し、見知らぬ国へ移住する女性たち。
かのじょらは、移住労働者の中でも、たやすく除外される少数者たちだ。
とりわけ韓国社会のあちこちに存在する国際結婚による移住女性たちは、家のなかに立ち込められ、家の外と疎通することすら難しい場合が多い。
自身の声を外へ出すことが不可能な現実。
しかしかのじょらは、蝶のように声なく歌を歌っている。
「蝶の歌」では、かのじょらの軟弱ながらにも、自由な仕草に耳をかたむけてみる。




「影の人」長編、短編
すでに全地球的な流れになった移住。しかし移住労働者たちは、いつも見えない影のような存在だ。同じ空間の中に生きているが、かれら/かのじょらの生は、絶対にさらけだされない。見えない存在のように日々排除されている人たち。「影の人間」は、移住労働者の労働、人権、社会、愛、文化をこめた映画を通し、息をする人間としての移住労働者を描こうとする。




「新しい世界を描く子どもたち」
移住によって多文化家庭が多くなり、多文化家庭の子どもたちも同様に増加している。
かれら/かのじょらは、前の世代とは違った考えと文化を持っている。移住民でも、原住民でもない新しい世代の子どもたちが見せてくれる生の現実、これは移住民の「未来」それ自体でもある。目の前で繰り広げられた多くの日々を多彩な生の模様を満たしていく多文化家庭の子どもたち、「新しい世界を描く子どもたち」では、かれら/かのじょらの姿を通し、移住民の未来と希望を見ようとする。




「移住の視線 ― 国内移住民、直接制作」
UCCの登場によって、誰でも自分の映像をつくり、さらに多くの人たちと疎通できるようになった。数多くの機関でメディア教育がなされ、あるいは多くの映画祭が開かれているが、社会的少数者である移住労働者が直接映像を制作し、自分たちの話をしようとすることは、簡単なことではない。このような状況において、外部の視線ではない移住民自身の視線で、かれら/かのじょらの生を見つめる作品をつくるということ、そしてそれを通して観客たちと疎通するということは、なによりも大切なことだ。「移住の視線」では、かれら/かのじょらの生をうかがってみよう。これは、あなたの生をしっかりと見つめることでもある。

そして、特徴はやはり、安山や富川、天安というような、外国人労働者が多く住む地域でも映画祭が行われるということだろう。


もちろん、私を含め、このブログを見ている人で、直接会場に足をはこべる人はほとんどいないと思うが、外国人差別の激しい韓国でも、外国人労働者を排除せずに自分たちの現場でともに生きていこうという運動があることを紹介してみた。

なお、主催する「移住労働者の放送MWTV」は、日本でさいきんよく紹介されている「研究空間スユ+ノモ」と同じ場所にあり、「スユ+ノモ」のフロアの一室が、MWTVである。



kg