資本主義の反対者はこの信用収縮をいかに理解するのか?

英「ガーディアン」紙より
What do opponents of capitalism make of the credit crunch? Stephen Moss and Jon Henley
This article appeared in the Guardian on Wednesday September 17 2008 on p6 of the Comment & features section. It was last updated at 03:00 on September 17 2008.

ガーディアン紙で左翼へのインタビューが掲載されており、自分の好きなケン・ローチやケン・リヴィングストンへのインタビューもありましたので、共有できればと思い、仮に訳してみました。原文の記事には他にもアーティスト、小説家、政治家などさまざまな人びとがインタビューに答えています。私の力量不足で、訳にあまり自信もありませんので、安全のためには原文にあたられることを推奨します。誤訳などありましたらメールででもお知らせいただければと思います。成瀬

記事リード
私たちは銀行家の話を聞き、経済学者の語るところも聞いた。しかし、資本主義に反対する人びとは、このグローバルな金融危機をどのように理解しているのだろうか。これは彼らが待ち望んできた瞬間なのだろうか?ステファン・モスStephen Moss とジョン・ヘンリーJon Henleyは、有名な左翼の人びとに、今回の危機をどう見るか、そしてこの危機からなにか良いものが生まれるかどうかを尋ねた。


ケン・ローチ Ken Loach(映画監督)
今回の金融危機は、もしそんなものが必要というのであれば、ということだが、市場とは「答え」ではないし、「答え」ではありえないという事実のさらなる証明である(むろん、無法な戦争をしなければならないということも、その決定的証拠である)。世界を見回せば、すさまじい欠乏が一方にあり、他方にはすさまじい豊かさがあり、この二つはまったく結合していない。市場はまったく機能しておらず、資本主義はまったく不安定であり、かつ荒れ狂っている。そしてこの不安定さという恐るべき歯車に我々がみな縛り付けられているという事態が狂っているである。

真の左翼はこのことに大声をあげてきた。労働党の大会の期間中には左翼の協議の場がもたれ、私たちは社会主義パースペクティブに基づき、これらの論点を徹底的に議論するであろう。しかしもし、新聞や報道機関がこれらを記録することに失敗するならば、そうした考えが公の意識にまでつたわることは困難であろう。
(中略)
これは左翼にとっての決定的な契機だろうか?そうあるべきである。しかし、当然のことであるが、我々の過ちの歴史は楽観的であることを困難にしている。イラクへの戦争は、一貫した反資本主義運動の創造と、真の社会主義オルタナティブを見いだすための決定的な機会であったが、私たちはそれをつかむことができなかった。今回の金融危機もまたそうした機会である。私たちはこれを過ぎ去らせてはいけない。


ケン・リヴィングストン Ken Livingstone(前ロンドン市長
残念なことだが、私はこれが資本主義の終わりになりえるとは思わない。しかし、はるかに介入的な国家へと回帰しなければならないだろう。財の交換と分配のシステムとしての市場を打倒することは不可能だ。しかし、市場はそうした点で良きものであるからといって、なにごとについても良いのであるというような、多くの政治家による考えは誤りである。例えば、市場が働く人びとを教育し、社会インフラを作り上げ、環境を守り、自己を制御するというような考え方である。まったく明瞭に、これらのことは市場には不可能なことなのである。

真の問題は、かかる出来事を二度と起こさないようにするためにどのような国際的な構造が必要なのかということである。サッチャーレーガン規制緩和を圧倒的におしすすめ、金融市場にやりたいようにやらせた。そしてそれらは血塗られた大泥棒になりはてた。
良い知らせは、たとえばそうした人びとや行為への課税をするといったような国際的な規制のメカニズムが必要だという認識があるということである。ジョージ・ブッシュですら今やそれを理解している。イギリスは世界の金融センターである一方で、他方ではたしかな、生産的な実体経済に依存しなければならないという認識があらわれるだろう。中国では今、かつて私達が興味を失ってしまった、モノづくりがおこなわれている。


ダニエル コーン=ベンディットDaniel Cohn-Bendit(68年パリにおける学生のリーダー)
ネオリベラル資本主義にとってのこの金融危機は、原子力ロビィストにとってのチェルノブイリに等しいものだといえる。つまり破局だ。私は、われわれ皆がこのことから教訓を得ることを希望する。しかし、楽観視しているわけではない。そうなるかどうかは別の問題だ。世界最大のネオリベラル国家が銀行を国有化しようとすると考えること、、、、そのようなことは信じられない。

これは資本主義の終わりではない。というのも、これまでも常に、資本主義は自分自身を改革する知性を有してきたからである。改革が不可能になったときが資本主義の終わりのときである。しかしながら、市場が神である、という信仰は終わる。それは今こそ規制されなくてはならない。

我々は20年間にわたり、気候変動に注意を呼びかけるために闘ってきた。このことは時間を要したが、私たちは正しかった。今回の危機は、環境、社会、経済の調和を必要とする持続的な発展のための議論をすすめる助けとなるだろう。しかし、私はこの危機に一切喜んではいない。この危機は私を深く悲しませた。巨大な銀行家たちが巨額の大金を持ち逃げする一方で、庶民が全てを失っているからだ。